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人間魚雷「回天」


回天記念館に展示されている人間魚雷「回天」の実寸大のレプリカ

□人間魚雷「回天」
 人間魚雷「回天」は、太平洋戦争の末期、“天を回らし、戦局を逆転させる”という願いを込めて命名された。日本海軍が世界に誇る高性能大型魚雷、酸素魚雷(九三式三型魚雷)を改造し、操舵席を設けた有人魚雷である。無論、搭乗員の帰還は考慮されておらず、特攻兵器である。
 当時、日本海軍の伝家の宝刀酸素魚雷も戦局の悪化により魚雷を打ち込む機会を得られず、倉庫で眠っていた。1943年の日本の敗退が続く中、二人の青年海軍士官が戦局を逆転させるには特攻作戦しかないと提唱。それは当初反対されていたものの、戦局がさらに悪化した1944年8月、正式に兵器として採用された。倉庫に眠っていた酸素魚雷は改造され操舵席を設け、さらに炸薬を増量させて人間魚雷「回天」として生まれ変わった。
 回天は目標まで潜水艦の背で運ばれ、発進する。だが、回天はそもそも主に駆逐艦に搭載された九三式三型魚雷を改造したものであり、九三式三型魚雷自体は長時間水中にいることは考慮されて設計されておらず、魚雷機関部が水圧などで損傷して発進できない場合もあった。また回天の耐圧深度は80mであったために、母艦の潜水艦は爆雷に対する安全深度100mをとることができず、母艦もろとも撃沈されてしまうケースもあった。その他にも本来魚雷であるため、有人走行するためには様々な問題があり、操舵の難しさ、整備の難しさなど多くの問題を抱え、本来の力を発揮できない場面が多かった。それでも回天訓練生の1,375人のうち、106人が回天による特攻攻撃を慣行し、戦没している。

E金物一型「回天」主要目
■最高速力      30kt
■全長      14.74m 
■全重量       8.3t
■推進馬力  550馬力

■搭載炸薬重量  1.55t


回天記念館を地図で確認



回天の内部を前から。映画「出口のない海」で製作された精巧なレプリカ。


回天の推進器の一部


 回天発射訓練基地跡

□回天発射訓練基地
 この発射基地は昭和12年、九三式三型魚雷の試験発射のため開設された。それ以前は広島県呉市の大入にある発射場を利用していたが、大遠距離射線を備えたこの発射場が完成したため、以後この場所で行われるようになった。その後、本来は九三式三型魚雷の試験発射のために開設されたこの発射場は、九三式三型魚雷を改造した回天を扱うための必要な設備が備わっているため、回天発射訓練基地として選ばれた。昭和19年9月1日、この地に回天基地が開設され、回天の訓練が開始されることとなった。この訓練は終戦のその日まで続けられたという。
 当基地は当時は魚雷発射のための施設のほか、兵舎や砲台、飛行場など、なかなかの規模を誇った。そのほとんどは戦後米軍により破壊、失われたが、魚雷発射施設はほぼ当時のまま現存している。回天は上に掲載の写真の場所からクレーンで海に下ろされて発射されるのだが、この発射施設は基地からちょうど山を挟んだ島の反対側にあるため、回天は山に掘られた長いトンネルをトロッコに載せられ、この発射施設まで運ばれた。そのトンネルは現存しており、実際にそのトンネルを通ってこの発射施設まで行った。


回天を運ぶトンネル


トンネル内部


トンネル内部の中央付近では、写真や音声による解説もしていた


トンネルを抜けてすぐの発射施設


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