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義烈空挺隊、突入せり


米軍読谷飛行場に突入した、陸軍97式重爆撃機

□「空の神兵」から特攻隊へ:義烈空挺隊
 義烈空挺隊とは、日本陸軍正規空挺隊によって沖縄へ進軍してきた米軍に対し、斬りこみ作戦を行った部隊である。陸軍には開戦当初の1941年蘭印攻略戦においてメナドやパレンバンに降下した精鋭空挺部隊が残されており、この部隊を特攻作戦へ投入することに決定する。義烈空挺隊は空挺隊136名、輸送用の97式重爆撃機12機、乗員32名で構成されていた。彼らは97式重爆撃機に搭乗し、敵基地へ胴体着陸、後に敵航空機や施設などの破壊工作、敵航空機(特にB-29)の奪還などを目的とした部隊であり、帰還はほぼ考慮されておらず、特攻隊であった。
 本土において沖縄特攻へ向け猛訓練を積み、昭和20年5月24日午後7時ごろ、熊本の建軍飛行場を12機の97式重爆撃機が沖縄の嘉手納、読谷飛行場を目指した。12機のうち5機がエンジン不調により目的地に到達不可能で帰還したが、5機が読谷飛行場、2機が嘉手納飛行場へ突入をかけた。だが米軍の対空砲火はすさまじく、読谷へ1機が胴体着陸に成功、約12名の日本兵が駐機中であった航空機9機を破壊炎上させ、30機近くに損傷を与えた。また、飛行場にあった航空燃料用のガソリンを炎上させ、7万ガロンを焼失させるなど、約8時間に渡って飛行場を一字閉鎖させたが、非常に無念であるが日本軍はこの機会を天候不良のため生かすことができなかった。
 少数ながら多大な損害を与え、奮戦した空挺隊であるが、1名を除き、全員戦死した。米軍の死者数は約20名、米軍の回収した日本兵の遺体は69体であった。


四散した米軍戦闘機


写真手前がダグラスR4Dスカイトレイン輸送機、奥がダグラスC-54


コンソリーデーテッドPB4Yプライバティア哨戒爆撃機


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