大和は日本の技術の粋を集めて建造された艦であるが、設計当初は大艦巨砲主義時代であったので、少しばかり性能に古めかしい部分が残っている。初期装備ではレーダーは搭載されておらず、対空火器があまり配置されていない。無論これらの部分は改装を受け、改善されている。しかし、艦体にある無数の窓など根本的なところは改良不可能なため、いささか旧型と感じてしまう部分が残ってしまっている。
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主兵装 |
新造時 |
3連装45口径46cm砲
3基 3連装60口径15.5cm砲
4基 40口径12.7cm連装高角砲
6基 25mm3連装機銃
8基 13mm連装機銃
2基 |
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最終時 |
3連装45口径46cm砲
3基 3連装60口径15.5cm砲
2基 40口径12.7cm連装高角砲
12基 25mm3連装機銃
52基 25mm単装機銃
6門 13mm連装機銃
2基 |
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性能諸元 |
性能 |
基準排水量
65,000トン(完成時) 満載排水量 72,808トン(完成時) 全長 263.0m 全幅
38.9m 平均吃水 10.58m 最大速度 27.68ノット 乗員
約3,300名 軸馬力
153,553馬力(軸数4) 建造費 1億3780万2000円(当時) |
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装甲 |
装甲
舷側 410mm 甲板 200mm 主砲防盾 600mm
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建造当初は乗員数は約2700名であったが、対空火器の増加に伴い乗員数も増え、海上特攻作戦時には3,333名(うち1名無断乗艦)に膨れ上がった。

▲呉で艤装中の大和
大和は当時の金額では1億3780万円、現在の金額で約2600億円もの莫大な費用をもって建造された。これは当時の国家予算の3%に当たる金額であった。帝国海軍はその大和型戦艦を2隻保有していた。
同型艦-Yamato Class-
同型艦とは、同じ図面で作られた艦のことで、普通は性能も同じである。ただし、作られた場所や運用上の都合などで多少異なる場合がある。
戦艦はその運用の都合上から、必ずペアとなる同型艦が必要であった。大和もその例外ではなく、大和型戦艦は2艦いた。1番艦の大和、そして2番艦の武蔵である。武蔵も大和とほぼ同じ性能で、兵装が少し異なるだけだ。

▲戦艦武蔵
武蔵は1938年3月29日に三菱重工業長崎造船所にて起工し、1942年8月5日に呉で竣工、横須賀鎮守府籍に編入されたのち、1943年2月12日に大和から連合艦隊の旗艦を譲り受ける。
そして1944年10月24日のシブヤン海海戦において、米軍機の魚雷19本、爆弾17発(資料によっては魚雷14本、爆弾16発という記述もある)を受け、壮絶な最期を遂げるのであった。
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戦艦武蔵 主兵装 |
新造時 |
3連装45口径46cm砲
3基 3連装60口径15.5cm砲
4基 40口径12.7cm連装高角砲
6基 25mm3連装機銃 12基 13mm連装機銃
2基 |
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最終時 |
3連装45口径46cm砲
3基 3連装60口径15.5cm砲
2基 40口径12.7cm連装高角砲
6基 25mm3連装機銃 35基 25mm単装機銃 25門 13mm連装機銃
2基 |
※対空噴進砲(ロケットミサイル)を装備していたという説があるが、ここでは省略した。
武蔵を建造する際、機密保持の為に船台を大量の棕櫚縄を使い、覆ったという。そのため一時棕櫚縄の値段が高騰した。また海外の大使館がたくさんあった長崎では、機密保持の苦労が大変であったという。
大和型戦艦は2隻であるが、大和級となるともう1隻増える。大和型空母『信濃』である。信濃はミッドウェー海戦で主力空母4隻を一挙に失ったことから、建造中であった大和型戦艦の3番艦を急遽空母に改造した艦である。信濃の艦体は大和型戦艦の艦体をそのまま流用した重装甲であり、そのために排水量の割には搭載機数は少ない。だが信濃は、この装甲防御で敵の攻撃に耐えながら海戦海域の最前線へ進出し、他の空母の搭載機の再武装基地にするという運用を目的とされていたのではないか、と一般的には言われている。
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空母信濃 性能諸元 |
性能 |
基準排水量 62000t
全長 266m 全幅 38m 飛行甲板 256m 速力 27kt
機関 タービン4基4軸 出力 15万馬力
12.7連装高角砲 8基 25mm3連装機銃 37基 25mm単装機銃
40基 12cm28連装噴進砲 12基 艦載機:常用42機、予備5機 |
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装甲 |
飛行甲板は800kg爆弾に耐えうる。 |
信濃は就役直後に横須賀から呉へ回航中、米潜水艦『アーチャーフィッシュ』による雷撃を受け、魚雷4発を被雷した。その時未だ艦内では工事が進められており、ケーブル類で防水ハッチが閉められず、就役後わずか10日の短い一生を終えた。世界の海軍史上最も短い艦暦であったという。海軍上層部や信濃艦長:阿部俊雄少将の判断ミスだという批判もあるが、信濃は竣工とは名ばかりの未完成艦で、ねじ山が根元まで切られていないボルトや2センチも隙間の空く防水ハッチなど、その突貫工事には目を覆うばかりであった。

▲信濃の写真は非常に少なく、残っているのはほぼこの写真だけといっていい。
大和型自慢の防御力も生かせず、また1度も戦線に加わることのなかった、不運な艦である。
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